第9話




辰雄は昨日の朋子との帰り道を思い返した。






「・・・なぁ、千夏の好きなヤツって誰や?」

「え?」

「さっき言うとったやろ。千夏に好きなヤツおるって。誰?」

真剣な顔の辰雄を、朋子は意外な気持ちで見つめた。

辰雄に隠していた訳ではなかった。

東中学校の試合の日程や野球についてのことは、ほとんど辰雄に訊いていたくらいである。

辰雄が何も言わないので、それで納得しているのだと思っていた。

しかし千夏のいない間に、辰雄に謙太のことを教えることはできない。

朋子はすがる思いで腕時計を見た。

「・・・東中野球部。」

「の誰?」

「・・・・・・・・・・・・あ、バス来た!じゃあね。」

会話を途中で打ち切り、朋子はバス停へと走った。

「おい、待てよっ!」

辰雄の声は、バスのドアが開く音に掻き消された。






今までの千夏や朋子の言動が、全て謙太と結びついた。

道の向こう側の千夏は、辰雄が見たことのない顔で笑っている。

別に千夏と付き合っているつもりはなかった。

けれど千夏の一番近くにいるのは自分だと、疑いもしなかった。

一緒に笑うのが当たり前過ぎて、自分の気持ちすら気づかなかった。

「・・・オレ、一人バカやん・・・・・。」

雨の中、うつむいて自転車を走らせた。








5時前になり、館内に閉館を知らせるアナウンスが流れた。

「飛澤さん、おつかれ。」

「お、おつかれさま。今日はありがとう。」

千夏は謙太が所々書き込んだノートを閉じる。

ただの英語のノートが、今日からは宝物になる。千夏は謙太に気づかれないように、微笑んだ。



二人で図書館の外に出る。雨はもう上がっていた。

「じゃあ、バイバ・・・。」

「あ、家まで送るよ。」

思ってもみなかった台詞に、千夏は信じられない気持ちで言葉を返す。

「え!?だって悪いよっ。・・・かまんの?」

「うん。家どっち?」

謙太と肩を並べて歩く。

うれしくて、少し照れくさい。



「じゃあまた明日。」

「うんっ。送ってくれてありがとぉ。」

家が図書館の近くなのが、今日は恨めしい。

千夏は謙太の後ろ姿が見えなくなるまで、その場で見送った。

「『また明日』かー・・・。」

また明日会える。話せる。

明日だけじゃない。

夏休みの間、勉強を教えてくれることになったのだ。

夏休みが終わるまで、あと23日。

どんな出来事が待ってるんだろう。

彼にもっと近づけるかな・・・。










謙太との勉強会も六日目の土曜日。

千夏はいつものように10時過ぎに図書館に着いた。

開館後少しして来ているのに、最近は謙太の方が早くて、いつもの席にその後ろ姿を見つけられる。

ずっと遠くから見ているだけだった後ろ姿を、今はこんなに近く感じることができる。

「川原君おはよう。」

「おはよ。」

「昨日あの後ね、・・・。」

毎日会って話しているので、初めのぎこちなさもなくなった。

千夏はしあわせな気持ちに包まれた。

夏休みが始まる前は、こんな日常を想像もしていなかった。

この五日間で勉強が好きになったような気がする。

家での勉強も苦痛に感じなくなっていた。

そして、謙太が自分のことを嫌ってはいないという自信が持てた。

約束の時間よりも早く来てくれる。

一時間でも謙太と長く一緒にいられるのがうれしかった。

けれど、どうしても今以上を望んでしまう自分がいた。

一緒に遊びに行きたい。

謙太とデートしたいと思う。

受験生なのだから、そんなことを言っていられないのは分かっている。

一緒にいても、付き合っている訳ではないことも
───

分かっているけれど、こんなに一緒にいるから勘違いしてしまいそうになる。

「ちょっと辞書取ってくる。」

「うん。じゃあこの問題やっとるね。」

歩いていく謙太を見つめる。

しあわせなんだから、このままでいいんだ。

千夏は自分に言い聞かせた。





「千夏?」

聞き慣れた声に振り向くと、予想通り辰雄が立っていた。

「なんか久しぶりやな。」

辰雄に会うのは、土曜日の試合以来だから一週間ぶりだった。

「どしたん辰雄?ここ図書館やで?」

「知っとるわ。オレやって一応受験生やし、勉強しに来たんやん。」

「うそ!?・・・ビックリ。」

「ひでー。」

辰雄の行動が意外で素直に驚くと、辰雄は傷ついたふりをした後で楽しそうに笑った。

「あ、川原君。」

「あぁ!?」

聞きたくなかった名前に、辰雄は不機嫌そうに謙太を見る。

謙太も無言で辰雄を見ている。

その謙太の目は、千夏に以前の図書館での謙太を思い出させた。

どうしていいか分からないけれど、とりあえず二人をこのままにはしておけない。

「か、川原君、そろそろお昼食べに行かん?・・・行こうっ。」

急いで教科書などをカバンに入れる。

「じゃあ辰雄がんばって。」

何か言いたそうな辰雄にそれだけ言うと、謙太の手を引いて外に出た。

謙太と手をつなぐなんて、もちろん初めてだったけれど、そのことを気にする余裕はなかった。



外に出ても謙太の表情は変わらない。

「あ、今日どこで食べる?」

千夏の問いにも何も答えてくれない。

謙太と辰雄がどんな関係なのか、千夏には全く分からない。

不安だけが膨らんでいく。

「川原君・・・?」

「ごめん、オレ今日は帰るわ。」

リュックを背負い直し、千夏の方を見ずに行ってしまう。

千夏は呼び止める声も出ず、ただ呆然としていた。













   





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送