第3話




千夏がぼんやりと数日を過ごすうちに、学校のゼミが始まった。

南中学校では三年生の希望者を対象に、毎年夏休みの一週間を使って受験対策の授業が行われる。

西城高校を目指すために、千夏は夏休み前に朋子を誘って申し込んでいた。



一時間目の英語が終わった後の休み時間。

千夏と朋子は辰雄に呼び出されて教室前の廊下にいた。

「なぁ、ほんまに来んのか?来たらええやねぇか。」

「行かんっ!」

「何でや。前まで千夏の方から東中との試合の日訊いてきよったやろが。理由くらい言えや。」



東中学校との試合。

数日前まで誰よりも会いたかった人は、今は誰よりも会いたくない人に変わっている。

図書館に行かなければ、謙太を好きにならなければ、謙太に出会わなければ、

こんな思いはしなかったのかもしれない。

けれど、もう出会ってしまったから。

彼に出会ったことをなかったことにすれば、彼を想って過ごした私の一年間も消えてしまう。

だから謙太を好きでいるのはやめて、早く『思い出』にしたかったのに、

会えばまたあの日のことを思い出してしまう。



しかし千夏の気持ちを知らない辰雄は納得できない。

「お前の応援がいるんやって!千夏が応援してくれたら、今回は勝てそうな気がすんや。」

「やだ。」

「来いって。今週の日曜やぞ。」

「・・・行かん。」

「頼むわ。」

「いや。」

当人達にとっては日常会話だが、近くで聞いている方にはまるっきり告白にしか聞こえない。

「田岡君しつこいっ。」

堪りかねて朋子がストップを掛ける。

「ごめんなぁ、こいつアホやろ。ほら、辰雄行くぞ。」

強制退去決定。辰雄の友達が、無理やり辰雄の腕を引っ張って連れて行く。

「来いよー・・・・・・。」

姿が遠ざかっても聞こえてくる声に、千夏は頭を抱えた。






















「あっつい・・・。」

日曜日。射すような日差しの下、セミの合唱に包まれた城内球場に千夏はいた。

スタンドが全て石でできているため、座っているだけで暑さが下から立ち昇ってくるようだ。

となりに座る朋子も、日差しと蒸し暑さからスポーツタオルを頭に被せ、

凍らせて持ってきたペットボトルを頬に当てている。

千夏はグラウンドで試合前の練習をしている辰雄を睨んで、金曜日のことを思い返した。











「おはよ。日曜行く気なったか?」

「毎日毎日しつこいっ。行かん言うとるやん。辰雄、自分の教室でおりなよ。」

「そんなん言われたって、千夏が来ん言うけん。」

「てか、ついて来んとってよ。あたし今からトイレ行くんやけど。」

そこで初めて辰雄はここが女子トイレの前であることに気づいたようだ。慌てたようにその場を離れた。



千夏がトイレから教室に戻ると、朋子の机の横に辰雄が立っている。

必死な顔の辰雄に、困り顔の朋子。千夏はすぐに状況を理解した。

「やけん柏原さんからも言うてやってよ。どうしても・・・いてっ。」

千夏が後ろから辰雄の左足を蹴ったため、最後まで言うことは防がれた。

「教室帰ったんじゃなかったん!?つきこにまで迷惑掛けて!」

「・・・オレは千夏に来てほしいだけなんやって・・・・・・。」

急にしゅんとなって言う。

この態度はずるいと千夏は思う。こちらが悪いような気になるからだ。

「・・・もぅ、分かったわ。行ったらええんやろ!?」

「マジで!?ええん?ありがとな。」

タイミングを計ったかのようにチャイムの音が響く。辰雄は自分のクラスに戻るために走って行った。

朋子は慰めるように千夏の肩をぽんとたたいた。











今日は何があっても、謙太に自分の存在を気づかれたくない。

千夏はメッシュのキャップのつばを更に下げた。

「千夏ぁ、そんなに意識せんでも大丈夫やって。・・・逆に怪しいよ?」

キャップ以外に、縁のある伊達眼鏡を掛け、マスクまで付けた姿に、朋子は呆れたように言う。

「ええんっ。絶対謙太君にばれんように・・・目立たんように・・・。」

しかし城内球場のスタンドは決して広いとは言えない。

スタンドの一番後ろの席に座っていても、グラウンドからは簡単にその姿が見つけられる。

「千夏ー!!」

練習が終わり、ベンチに引き揚げる途中で千夏達に気づいた辰雄が、大声で名前を呼ぶ。

「うるさいっ!!」

動揺のあまり思わず立ち上がって、マスクをがっと外し叫び返してしまう。

グラウンドの野球部の生徒や、スタンドの観客の視線が千夏に向く。

そのことに気づき、恥ずかしさでそのまましゃがみこむ。

「・・・・・・どんまい。」

朋子の同情のこもった声にも何も返せなかった。






南中学校に換わって、東中学校がグラウンドに出てきた。

会いたくない筈なのに、目は自然と謙太を探してしまう。慣れない眼鏡を少し下げ、

グラウンドを見つめる。

「あ・・・。」

見慣れたユニホーム姿の謙太がいた。図書館での私服とは違う
───

そこまで思った時、図書館での出来事がはっきりと思い出され、千夏は顔を伏せた。



朋子は千夏の顔色が変わったのに気がついた。

グラウンドに目を移すと謙太の姿。千夏の気持ちが理解できる分、見ていて痛々しい。

朋子は立ち上がって、大きく息を吸った。

「田岡君ー!がんばってよー!!」

「おぅ!」

辰雄はにっと笑って、握りこぶしを見せる。

「しっかり見とけよ!」

こちらを指差し、馬鹿みたいに真っ直ぐな笑顔になる。

「・・・人指差すな、ばか。」

小さな声で文句を零すが、つられて千夏も笑った。





「なんや、あれ。」

その光景を見た東中学校のキャッチャーである牧原が謙太に話しかける。

謙太はそれには答えずに、黙って辰雄達の方を見ていた。








午前九時。

両校の選手が一列になって向き合う。



プレイボール。













   





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