第2話




開館時刻の数分前に図書館に着く。自動ドアが開けば、自習用のスペースへ。

座る席はいつも同じ。謙太がとなりに座ったあの席である。

時計が12時を廻ると、図書館のすぐ近くにあるうどん屋で昼食をとる。

その後、閉館まではまた勉強。

───これが、ここ数日の千夏の生活パターンである。

夏休みは図書館で勉強すると決めていたこともあるが、三日坊主の千夏が図書館に通い続ける

一番の理由は別にある。

もう一度謙太に会うためである。

前に会った時に謙太は本を借りて帰ったようなので、また返しに来なければならないだろう。

だとすれば、少なくともあと一回は謙太に会うチャンスがあることになる。



どうしても謙太に会いたかった。

会って、この前の言葉は聞き間違い、勘違いだったということを確かめたい。

謙太の笑顔を千夏は何度も見てきた。

見ているだけでしあわせになれるような笑顔で笑う人に、私は初めて出会った。

だから、例え勝手な思いだとしても彼を信じたかった。















千夏が図書館に通い始めてから六日目。

目覚めて、今日は目覚まし時計が鳴らなかったことに気づく。

さーっと血の気が引くような思いがして、慌てて時計を見ると針は12時を指している。

「あぁっ!もぅなんで!?」

ベッドから飛び起きて、パジャマを脱ぎ捨て、箪笥の引き出しから適当に服を選んで着る。

トイレと洗面所に駆け込み、カバンを引っ掴んで家を飛び出す。

どうして約束もしていないのにここまで急ぐのかと自分でも馬鹿らしくなったが、今日は、

今日こそは謙太が来ているような

気がしたのだ。






冷房の効いた図書館に入ると、今まで忘れていた汗が途端に噴き出した。

乱れた呼吸を整えるように、ゆっくりと本棚と本棚の間を歩いていく。

しかし謙太を見つけることはできない。

やっぱり気のせいだったかと思いながらも、小さな期待を捨てられずにいつもの席へ向かう。

二人分の席のうち、一方には先客がいた。

その後ろ姿を見た瞬間、鼓動が急に速くなり、思わず立ち止まってしまった。

そこには5日前と同じように読書をしている謙太の姿があった。

千夏は汗を拭い、深呼吸した。

あの席へ、謙太の方へ歩く。



「ここ、いいですか?」

にっこり笑おうと思ったが、無理だった。

謙太は顔を上げて千夏を見ると、一呼吸置いて視線を本に戻した。

イエスともノーとも言われなかったので戸惑ったが、何も言わないことを了承と取ることにして、

となりに座った。

これが最後のチャンスかもしれないから。

遠くじゃなくて、少しでも近くにいたいと思った。



勉強を始めようと思い、カバンの中を覗く。

その中身を見て、千夏は頭が真っ白になった。

カバンの中に入っていたのは教科書や参考書ではなく、黄色のバイエルと譜面
───

それは妹がピアノ教室に行く時に持っていくカバンだった。

どうしてちゃんと確認せずに家を出たのかと悔やんだが、後の祭りである。

ちらりと謙太の方を見ると、謙太は千夏の様子は気にも留めずに本を読み続けている。

折角また会えたのに、このまま帰るのは嫌だった。

彼と話したい。

もう一度小さく深呼吸した。

「な、何の本読んでるんですか?」

いつも通りの声を出したつもりが、小さなしかも裏返った声になった。

一瞬で顔に血が上るのが自分で分かる。

早く何か言ってほしい。

謙太が千夏の方を見た。

彼は何て言うだろう?

自分の心臓の音が聞こえる程の緊張の中で謙太を見つめる。




パタン。

謙太は先程と同じように、何も言わずに本を閉じた。そして立ち上がり歩いていってしまう。

何が起きたのか理解できずに謙太を目で追う千夏を気にすることもなく、謙太は自動ドアを出て行った。

「・・・帰っちゃったんや・・・・・・。」

口も利いてもらえなかった。

ここが図書館だということは分かっていたが、涙が溢れて止まらなかった。










次の日の朝も目覚まし時計は鳴らなかったが、寝坊することはなかった。

昨夜は眠っていないのだから。

もう図書館に行く必要はないのだから。

目を閉じると昨日の場面が浮かぶ。

初めて図書館で会った時の一言が、耳に残って消えない。

私はずっと『もしかしたら』を信じてきたけど、それは全部勘違いだったんだ。

そう思うと、泣き疲れるくらい泣いたのに、また涙が滲んだ。






「もぅ、何しとるんよっ。遅いし!」

千夏と待ち合わせをしている筈の駅で、朋子は一時間近く待っていた。千夏はまだ現れない。

「買い物行きたいって言ったん千夏やのにっ。」

何度電話してもメールを送っても返事はない。もう一度電話してみようと、

発信履歴で千夏のケータイ番号を選択する。

プルルルル・・・プルルルル・・・。

「ごめん・・・。」

ケータイの受話口ではなく、すぐ傍で声がして朋子はそちらへ向く。

「千夏!?・・・何その顔!?」

いつもと違う低い声にも驚いたが、千夏の顔を見て一瞬言葉に詰まった。

泣き腫らした顔。目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。




千夏が来ればすぐに電車に乗るという予定を変更して、駅前の喫茶店に入った。

「何があったん?」

朋子は千夏が謙太に一目惚れした時も一緒だったし、それからのことも全部知っている。

図書館での出来事を真剣に聴いてくれ、怒ってくれ、慰めてくれる朋子の言葉を聞いているうち、

また涙が零れた。



声を上げて泣いて、泣いて、今までの想いも思い出も全部、忘れてしまえたらいいのに
───













   





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