夜風が気持ちいい。
見下ろす街の明かりは煌々と輝いて、そこにいる人の活気を思わせる。
少し眩しいけれど、僕はこの景色が嫌いではなかった。
人がいること。少なくとも一人ではないこと。
そのことが、好きだった。
同じ高度を保ちながら、速度も緩めず飛び続ける。
ただ、ただ闇の中を疾る。
そんな中、羽ばたく翼はそろそろ疲れを訴え出していた。
あちこちについた傷痕も疼く。
よく考えれば第二東京辺りからずっと飛んでいた。流石に疲れもする。
そろそろ休もうかと、どこか人に見られない場所を探す。
暗い夜に目を走らせて、僕は向こうに小高い丘を見つけた。そこだけが光の洪水から外れて夜色に包まれている。
あそこでいいか、と僕はそっちに進路を変えた。
そこは丘というより山に近いかもしれない。隙間なく生えた木が辺りを覆い隠している。
喧騒の都会の中の静寂の森。
そのフレーズが気に入って、僕はゆるゆると滑空する。
「っと。危ない危ない」
やはり疲れていたのか、着地にすこしたたらを踏む。
ちゃんと両足を地面につけて、背中の羽をしまう。ばさりとマントの翻る音がやけに耳についた。
「さて……どこか雨をしのげる場所があればいいんだけど……」
呟きながら、あたりを見回す。月の無い暗い夜だが僕にとってはどちらもあまり変わらない。
しばらくそうして歩いているうちに、向こうに古い大きな屋敷を見つけた。
見たところ、人の住んでいる気配はない。
僕は今夜の幸運に感謝した。こんなに簡単に寝床が見つかるのは久しぶりだ。
しかもこんなお屋敷――
「懐かしいな……」
ぽつりと言葉が漏れる。
それに自分でため息をついた。
嫌なことまで思い出してしまったと。
屋敷の中はそう酷く荒れているわけではなかった。むしろ不思議なくらい家としての体裁を整えている。
まるで人がまだ住んでいるかの様に。
それは酷く不気味だ。家が人に住んでもらいたいが為に自分の姿を保っている様で。
「切ないね……それでもここは忘れられていたんだ……」
短く言葉を落としながら、僕は屋敷の奥へと進んでいく。
幾つかの部屋を通り抜け、やがて気になる部屋を見つけた。
そこは倉庫にでもなっていたのだろう、小さな部屋。もちろん何も無い。
だがそんな事が気になったのではない。
「空気の流れが違う……?」
かすかに、流れるそれが違っていた。
「……まさかね。出来すぎだよ」
呟きながらも、足を進ませる。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、ギッ――
「ここか」
一歩下がって、今まで立っていた床を注意深く見る。
そこに入った正方形の切れ目。その端に指を差し込んだ。
ぎぃいぃいいぃぃ……
軋む音を高らかに響かせながら、その隠し戸は開いた。なだらかに暗い闇へと続く階段がそこにある。
「…………」
石段を踏み、地下へと下りていく。
二十数段ほど下りただろうか、そこは随分広い地下室だった。あくまでさらなら、だけれど。
あちこちにある壺やタンス、武器――つまり骨董品の類がこの部屋を一気に狭く見せていた。というか実際狭くしていた。
「ここまでお誂え向きだと、返って疑っちゃうね」
そうは言いつつも、このなかなか素敵な屋敷はしばらくの住処として上々だ。
「ま、いっか」
あっさりそう決めて、僕は次に水を探し始めた。
一応確かめておいた蛇口は、しっかりと空だった。
さすがにそこまで望んではバチが当たると外に出て再び空を舞う。
辺りを飛び回って、屋敷の裏に川が流れているのに気がついたのは十五分後だった。
灯台下暗しとはこのことか、と思いながら右手の爪で左手の親指を軽く切る。
もう慣れた痛みに顔をしかめることもなく、滲んできた紅い雫を川に落す。
ぽたりと沈んだそれはすぐにその手を伸ばし、身を染み込ませ、紅を広げる。
数秒後、川の中に出来上がった赤い棺をシンジは手を伸ばして引き上げた。
「うーん……何度やっても便利な力だね」
自分の血を媒体に物質の形状、性質を変化させることが出来る。
これがシンジだけの特殊な力だった。
自分と同種の存在でもこの力はない。
といっても、彼らには彼らの特別な力があったりするので大した事は無いのだが。
それを抱えててくてくと屋敷に戻る。
棺の中の水抜きはしてあるし、湿ってもいない。
さっき見つけた地下の目立たない所に設置して、僕はその中に入って蓋を閉じた。
後数時間で夜明けが来る。もうさっさと寝たかった。
なにせここに来るまで、戦ってばかりだったのだから、傷を治さないといけない――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
とある暗い部屋。
上天にはセフィロトの樹が描かれ、部屋の主は樹の高みから来訪者を見下ろしている。
来訪者である彼女――葛城ミサトは片手に持った報告書を無表情に、無感動に読み上げている。
「同日二○三七、目標体E−67をロスト。以降捜索に活動を移行。現在においても発見報告は無し。
――以上です」
「ご苦労」
それだけを、目の前のこの男は呟いた。
声には抑揚が無く、まったくの平坦だ。揺らぎというものが全く見られない。
コレに比べれば報告中の私の声も全然活発ね。
彼女は内心そう思いながら敬礼する。
声だけでななく、この男は表情すら動いていない。組まれた手袋と赤いサングラスはさらに表情を隠している。
やり難い上司だ。本当にそう思う。
有能なのは認めるが、何を考えているのか分からない。有能なだけに、それが恐ろしい。
まあ――自分が今の位置にいられるのなら、どうでもいいのだが。
そう思って気を取り直す。
くるりと後ろを向き、この重苦しい部屋から出る。
出てからため息をつく。
そう、ここにいられるのなら、なんでもいい。
ここにいて、あの化け物共を狩れるのなら、なんでもいいのだ。
胸元の十字架を握り締め、廊下を歩いていく。
現場に出たい所なのだが、もう一つヤマがある以上、そちらにも手を出さなければならない。
対応を考えながら廊下を足早に歩いていく。
報告があるかもしれない。ある気がする。
着いた部屋には、まさしくその報告があった。しかも喜ばしい。
『○二一五、目標体E−67を捕捉。応援として第弐特別隊と合流。これより攻撃に移行』
どうやら見つけたらしい。しかも第弐特別隊が加われば、たかがE級クリーチャーごとき手間取ることも無いだろう。
「こっちは片付くわね。さてもう一つC−14の方は――」
やがて来るだろう、目標殲滅の報告を待つことにして、もう片方に思考を回した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
暗い部屋の中、老齢の男が呟いた。
「碇、いいんだな?」
その声は幾分ならざる苦渋が込められている。
それに答える男は、先程と同じくまったく表情を見せない。
――あたかも、ここにある“誰かの眼”に対して何の弱みも見せまいとしているかのように。
「全てはこれからです。何の問題もありません、冬月先生」
「そうか……」
冬月という名の老人は、嘆息にも似た呟きをもらして仕事にかかった。
自分の孫程にも思っている少年を殺すための段取りを調べる仕事に。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
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